夏休みが欲しい。

学生時代のような。子供時代のあの時の長い休みだという感覚。

 

新しい職場では就業前にラジオ体操をしていてそれが終わったら仕事を始める。子供のときに早朝に草の生えた空き地に集まって終わったら自宅に帰ったことを思い出したのだがその後どうしてたっけ…?と思いを馳せたところで詳しく思い出せ無かった。

という流れで思い出そうとしてしまうのは仕事の雑談でやたら学生時代のことが話題になるからだ。話す相手は自分より年下の二十歳前後の子なので学生時代の頃のこともさほど遠い話ではないからだろう。

小学生からの幼馴染がいて、地元の中学時代の先輩後輩の関係がいまだにあって、自分は地元にいながら縁が切れほとんど持っていない関係性を当たり前のように話すのを聞いている。楽しそうだ、幸せそうだ。本当にそういう付き合いが続いている人がいるのだと驚いた。そうやって田舎の地元で幸せに生きていくのが成功なのかもしれない。

 

新しい出会いに対して否定する訳ではないがこれから先の生きていくのに幼少期からの長い付き合いの人がいないのか…と思うところはある。自分に現在いるとしたら親や兄弟の血縁関係者だ。そうやって長く知っているのが親くらいしかいないのを残念に思ってしまう。というのは、自分は親以外の繋がりを求めているからだろう。敢えて言えば愛犬(も一緒に暮らしたといえば家族なんだけど)が家族(血縁者)以外で一番長い付き合いになるんじゃないかな…とか。でも先述(

fk-orangewind.hatenablog.com

)の通り虹の橋へ旅立ってしまったのでもういない。

 

 

こういうものを求めてしまうのはいい加減親から自立したいというかいつか親を失った時に外に向かって自分なりのコミュニティを持っていたいと考えているからで親を失う恐怖で埋もれる前に自分なりのコミュニティを確立したい。現状でも親から自立したい離れたいとは思っているがなかなかできず親の存在より大きなそれだけの付き合いのできる人が欲しいとなってしまうのだ。自ら関わりたいと思って出会ってそこからの記憶がある付き合い、血の繋がりから外れて付き合える相棒が欲しい。コミュニティというか自分の家族が欲しいのだろうな。

今いるコミュニティの人々は優しいしそこに存在できるのはありがたいんだけどどうしてもそこまでの深い付き合いというかそういうのまで至らなくてどうしたらそういう付き合いができるのかまだ自己との向き合いが足りないのだろうか孤独を抱えてそれこそ孤独というものは一生付き合っていくものだろうがそれを踏まえて上手く人と付き合えてないから今後そういう繋がりができるのか分からないけど運良く、運良くそういう人と出会えたなら付き合えたならそうやって生きていけるようになりたい。

 

 

 

親より深い存在を現状で感じられないならとりあえずは自己と向き合うため学生時代幼少時代を思い出したい。残る記録を読み返す時間が欲しい。休んで、向き合って自分を思い出したい。

 

朝から蝉が煩く鳴いている。